無職期間は昔を思いださせる
朝起きたら、11時過ぎでした。なんというか・・・午前中が終わった。
無職期間は、だらだらと過ごさないようにしようと思っていたのに。
最近は、この無職期間は人生の休暇なのだと思うようになって、目覚ましのない生活を謳歌してみようとさえ思っているのです。好きな時間に眠り、好きな時間に起き、少しの家事と、娯楽をむさぼっている生活を送っております。
思ったように、あんまり楽しくない。
40歳ですからね。こういう経験は始めてないので、分かっているんです。
何かに所属している安心感。社会に関わっているという感覚が、自分は無用でないと思わせてくれます。
オンとオフがあるから、オフが楽しいものになる。
生後10か月で娘を保育園に預けてパートで働き始めました。当時、夫にも母にも反対されました。まだ早い!と言われました。娘が可哀想だとも。
娘とマンションで二人きりの生活は、私には辛いものだと言っても分かって貰えませんでした。
自営業で働きづくめだった母から言わせれば、小さい頃の貴重な時期を手放すしかなった自分とは違うのだから、毎日を娘と2人ゆっくり過ごせばいいではないかということです。公園に行ったりすればいいじゃないの?と何度となく言われました。
公園には、保育園の先生が幼児達を連れて遊びに来ています。その光景を娘は、毎回うらやましそうに見ていることなんて私しか知らないのです。
結局、反対を押し切り保育園に預けました。パート代の半分は、保育園代です。パートといえども、大変でした。小さい子は、よく体調を崩します。ちょうど母が、仕事を辞めた事で、母に私のマンションまで来てもらい体調の悪い娘をみてもらいました。パート先には、小さい子がいても急に休んだりはできないと釘をさされていたので、休むわけにはいきませんでしたから。
パート勤務を始めて1ヶ月くらいで、娘が体調を崩して保育園を2週間程休みました。私がパートの日は、母と平日休みの夫が娘をみてくれていまいた。仕事から帰った私は、疲れ切っていました。母が娘をみてくれているにも関わらず感謝の言葉を忘れていました。
母は、暴言を吐いて帰りました。
次の日、母はうちに来ませんでした。予想していたので、娘を保育園に預けてパートに行きました。仕事中、保育園から電話が来るだろうとビクビクしていたのですが、電話はありませんでした。仕事が終わってすぐに迎えに行くと、娘は元気に遊んでいました。どうやら、熱は下がったままで体調も良くなったようでした。
その日から、8年、母とは絶縁しました。
母の病気が原因で会うことになりました。それからは、家が1駅程しか離れていないこともあり交流はあります。
今にして思うことは、あの事があったから自分は親離れ出来たということ。自分が悪かったのです。あの時に母が助けてくれることは、あたり前のように感じていました。自分がしんどい時期でしたし、感謝する気持ちを表す余裕がありませんでした。
母と絶縁して自分の軸みたいなものがしっかりしました。今では、母に対して少し親切な他人みたいな感じに思っています。母の事に干渉する気もないし、あまり興味もない。いつでも2度と会えなくても良いという心持ちです。冷たいですよね。
今の無職期間は、あの時と比べれば楽しいともいえます。娘と二人きりの10か月、今なら楽しく過ごせたのかもしれませんが、当時はできなかった。妊娠期間の無職期間も辛かった。つわりから始まり、出産までの体調不良、それが終われば育児。
自分が無用に思えても、振り返ってみるとそれなりに頑張ってきたんだと思えます。
無職期間がいつまで続くか分かりませんが、大事に過ごしていきたいもんです。
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東野圭吾さんの本は、白夜光が1番好きなのですが、これもかなり好きです。本日、読み終えました。おもしろかったです。